2024年12月31日火曜日

引きも切らず

司令部へ救護を求めに来る満洲国政府関係者、避難民はひきもきらなかっ(引きも切らなかっ)たが、軟禁されている壹岐たちは手のかしようもなく、ソ軍当局にソ連兵の取締りと邦人の早期帰還を要請するのみであった。

山崎豊子『不毛地帯』

2024年12月30日月曜日

肯んずる

おそらく降伏を肯じ(がえんじ)ない部下たちに、聖旨を奉ずる道を切々と説き、説得をなし終えた後、割腹したのであろう。

山崎豊子『不毛地帯』

2024年12月29日日曜日

袂別

二十六名の幕僚たちは寂として声なく、袂別(べいべつ)の盃を干し、一人去り、二人去って行った。

山崎豊子『不毛地帯』

2024年11月22日金曜日

昂然

「死ぬために来たのです。死を怖れることなんかあるものですか」女は昂然(こうぜん)と言った。

新田次郎『天国案内人』

2024年11月19日火曜日

禅問答

いわば、網走湖の浮島天国を相手に禅問答(ぜんもんどう)でもしているようであった。

新田次郎『天国案内人』

2024年11月18日月曜日

すてばち

すてばち(捨て鉢)的なことばを吐いたにしては、まとも過ぎるほど冷たい表情がそこにあった。

新田次郎『天国案内人』

2024年11月17日日曜日

猖獗

そのころになると、発疹チフスはもうどうにもできないほどの猖獗(しょうけつ)をきわめた。

新田次郎『七人の逃亡兵』

2024年11月16日土曜日

鼻薬

ロシヤ語の片言が話せる者は、ソ連兵に鼻薬(はなぐすり)をきかせて堂々と取引をするという噂もあった。

新田次郎『七人の逃亡兵』

2024年11月15日金曜日

夜の帷が下りる

夜の帷が降り(よるのとばりがおり)たと言っても、厳密には天文薄明と言われる時刻であった。

新田次郎『生き残った一人』

2024年11月13日水曜日

光芒

不夜城はあまりに大きくそして光芒(こうぼう)は強烈だった。

新田次郎『生き残った一人』

2024年11月4日月曜日

仮借

会社首脳部は軍の命令をそのまま津島におしつけ、監督官はつきっきりで作業を督促し、シュルツは仮借(かしゃく)のない態度で図面に眼を光らせた。

新田次郎『はがね野郎』

2024年11月3日日曜日

せせら笑う

ふんと鴨矢は鼻でせせら笑いながら、横目で沢田を睨むと、芳崎の遺品の毛布を丸めて小脇に抱えて、引き揚げていった。

新田次郎『望郷』

2024年10月26日土曜日

こましゃくれる

こましゃくれた口を利くばかりではなく、沢田のバンドに手をかけて、はずしにかかろうとする図々しさだった。

新田次郎『望郷』

2024年10月17日木曜日

卑近

彼のような抽象に長じた理論家がきわめて卑近(ひきん)な発明の審査をやっていたという事はおもしろい事である。

寺田寅彦『アインシュタイン』

2024年10月5日土曜日

捷報

この二回の捷報(しょうほう)は長安の君臣を悦ばせ、その度に戦捷気分は巷々に溢れ、皇甫惟明の名は辺境守備の英雄として漸く高くなっていた。

井上靖『楊貴妃伝』

2024年10月4日金曜日

血道を上げる

いかなる理由で、実際には何の力も持たぬ尊号などというものに血道を上げ(ちみちをあげ)ているか納得できなかった。

井上靖『楊貴妃伝』

2024年9月22日日曜日

諫言

玄宗は韓休の口から出る言葉で、諫言(かんげん)以外のものを余り聞いたことはなかった。

井上靖『楊貴妃伝』

2024年9月19日木曜日

理知

隅にかたまった女学生の中にいるきわだって理知(りち)的な顔をした女が歌っていた。

新田次郎『豆満江』

2024年9月11日水曜日

深更

夜に入ってさすがに切羽つまり、結局は方便を以てしても移り参らすべし、それより他に手はなし、という結論を得たのはすでに深更(しんこう)であった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年9月10日火曜日

冷汗三斗

平伏している用人は、これはいぶかしきこと、と少し頭を下げて、

「は、将軍家にいらせられます」

と答えるとただちにたたみかけられ、

「ならば、城明け渡しはその将軍家よりご命令が下されしものか。主なき空城を、むざむざと敵の手に渡せよというご命令がもはや下されたのか」

と詰め寄られ、用人は冷汗三斗(れいかんさんと)の思いで、

「上さまはただいまご謹慎中にて、直接の命令にてはございませぬが」

と口ごもると、はげしい叱責が降ってきて、

宮尾登美子『天璋院篤姫』


2024年9月8日日曜日

寄ると触ると

大奥のあちこちでは寄ると触ると(よるとさわると)こんなささやきが洩れ、そのなかで宮は深く垂れ込めてずっと引きこもっているのであった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年9月7日土曜日

琴瑟相和す

篤姫は二人が琴瑟相和す(きんしつあいわす)ことをひたすら願う心の隅に、黒い羨望と嫉妬が蹲っているのを深く自らの恥としているが、ときどきそれに負けて、夜半、ふと考え込んでいることがある。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年9月6日金曜日

まなじりを決する

もし篤姫の冷静な助言がなかったら、婚儀続行中の最中、花園がまなじりを決して(まなじりをけっして)乗り込んでゆき、庭田典侍が例によって冷やかに、かつ誇り高く、こちらを見下したような対応をしたら、ますます険悪となるところだった、と思うのであった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年9月5日木曜日

まんじりともせず

その夜篤姫は、しとねに入ってまんじりともせず考え続けた。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年9月1日日曜日

畢生

各部屋とも障子、畳をすっかり新しくし、古い諸道具は大納戸へ片づけて見ちがえるように整然とした座敷には、各匠畢生(ひっせい)の力作の手道具類を飾り、これでもういつこの部屋の主が来てもよいよう、準備万端ととのっているのを見て篤姫はすっかり安心した。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月31日土曜日

腎虚

唐橋や幾島の手前、案ずるな、となだめているものの、正弘の死を聞いて以来、男が腎虚(じんきょ)になって死ぬほど愛されることが、実は女にとっていちばんしあわせなのではあるまいか、という疑いにとき折取りつかれることがある。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月24日土曜日

容貌魁偉

幾島は地声が大きい上に、例のこぶによって容貌魁偉(ようぼうかいい)というふうな印象を与えたから、言葉に威力があり、今後滝山がどう出るか、気にかかるところでもあった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月21日水曜日

向こう鉢巻

幾島は篤姫の背を叩くようにしてそういったが、それは幾島自身も向う鉢巻(むこうはちまき)で、さあ、と腕まくりしたところだと受取れた。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月20日火曜日

がんぜない

篤姫はもはやその年齢でもないことろからまっすぐ自室に帰って来たが、弟妹三人、まだがんぜない(頑是ない)ところもあって、急に親しみは湧いてこなかった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月18日日曜日

胸三寸

表の使いは幾島が受け、幾島はそのなかで篤姫に聞かすべきは言上し、聞かさぬほうがよい、と判断した場合は胸三寸(むねさんずん)に収めておく。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月17日土曜日

雲助

何しろおびたたしい行列なので、途中は助郷人足を使わねばならず、各藩とも庄屋、郷士の息子など呼び出してその役を課したが、日頃馴れぬ力仕事でその任に耐えぬ者もあり、日当八百文で雲助(くもすけ)を雇って割当てを果たす者が多かったという。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月14日水曜日

雄図

いま、その詩を読むと、頼山陽が十三、四で雄図(ゆうと)を抱き、やっと十八のときその願いが実現して江戸遊学したことがよみがえって来、十八歳といえばいまの自分と同い年だと篤姫は思った。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月12日月曜日

傅育

傅育(ふいく)のお役目は一きわ大切にございます故、幾島も姫さまをかくも立派にお育て申上げた先代のご老女さまのお名を知りとうございます。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月11日日曜日

生害

お部屋には見当りませず、あちこちお捜しいたしまして、ようやく、お長屋の一室でご生害(しょうがい)遊ばされているのを見つけましてございます。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月10日土曜日

一陽来復

当主が心身ともに脆弱のふうで、懸命に勤めを果たしている今和泉家にとって、これは一陽来復(いちようらいふく)にも等しい慶事であり、さっそく内輪の酒宴を、という段取りとなる。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月3日土曜日

和魂洋才

斉彬は、いま在国のあいだに信念とする和魂洋才(わこんようさい)の具現に努力し、万金をいとわず長崎から洋書を取寄せて翻訳させ、のちの集成館事業、つまり鉄鋼鋳造、火薬、大小銃砲鋳造、また陶磁器、製紙、搾油、農具、メッキ、硫塩酸の製造など多岐にわたって振興させ、時代の先駆者たる面目を見せるのであった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年7月31日水曜日

箝口令

この件は、菊本が侍女たちに箝口令(かんこうれい)をしいたにもかかわらず徐々に広がり、本邸にまで聞こえて、菊本はただちに呼び戻された。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年7月13日土曜日

英邁

こういう経緯を、まだ幼い篤姫は知るよしもなかったが、忠剛の口からよく聞かされていたのは、斉彬公の英邁(えいまい)であった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年7月12日金曜日

驕奢

進取豪胆の気に富み、若い頃からオランダ語を学び、外国の商館員と親交を持ち、また驕奢(きょうしゃ)を好み、薩摩藩の文化の基礎は重豪が作りあげたという説もある。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年7月7日日曜日

蒲柳

それというのも、兄三人はいずれも父忠剛に似て蒲柳(ほりゅう)の質で、よく患い、そのせいかどこか気弱なところがあった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年6月25日火曜日

はだし

シリンダに圧力計をつけ、ピストンの動きと圧力との関係を自動的にグラフに表わす、いわゆるインディケータを考案して機関の効率をしらべるなど、そこで行なわれた作業の中には科学者はだし(跣)のことも少なくありません。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』

2024年6月24日月曜日

狭量

そこでは多くの先覚者たちが自然学のなかから呪術的あるいはその他の神秘的要素を洗いおとし、同時に、人の心を束縛していた古い固定観念と狭量(きょうりょう)な教会の教義とからそれを解放し、科学と宗教の守備範囲を確立していった、歴史のあとをたどってみました。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』

2024年6月23日日曜日

蝸牛角上

これを読んでわかることは、ニュートンにおいて、宇宙には天球もなく中心もなく、そこはもろもろの恒星がばらまかれた無限の空間であり、天動、地動の争いのごときものは、もはや蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争いに見えるほどそれは壮大なものなのです。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』

2024年6月22日土曜日

鼓吹

一つは地動説を真実であると信奉しそれを他人に鼓吹(こすい)したこと、一つは、聖書にもとづく反論に応酬するため聖書を曲解しかつそれを主張したこと、この二点です。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』

2024年6月18日火曜日

捨象

天体の運動を論ずるとき、それを質量だけを持つ点と考え、それがどんな物質でできているか、どんな形や大きさのものであるか、などということを捨象(しゃしょう)してよいのは、この第三法則のおかげです。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』

2024年6月1日土曜日

牽強附会

この考えかたは、いわば、距離の中心と回転の中心とを使いわけることによって原則を守ろうというやりかたで、いささか牽強附会(けんきょうふかい)な感じもします。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』

2024年4月28日日曜日

そびやかす

「わたしは反対よ」メリーは肩をそびやかす(聳やかす)ようにはっきりといった。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月23日火曜日

尻馬に乗る

実力がないのに、ただアグラモンテや一部の学者の尻馬にのっ(しりうまにのっ)て、「そうだそうだ」と騒ぎたてる。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月21日日曜日

たけ

英世は例によって不満のたけ(丈)をニューヨークのフレキスナーへ書き送る。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月20日土曜日

放埒

守之助の紹介で会った女性との婚約を破棄したのも、放埒(ほうらつ)さが原因とはいえ、その裏にはヨネ子の面影を追っているところがあった。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月9日火曜日

毀誉褒貶

英世への毀誉褒貶(きよほうへん)は、この性格のいずれの面を見たか、そしてそれを許せるか否かによって、ずいぶん異なってくる。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月7日日曜日

大言壮語

大言壮語(たいげんそうご)するだけに英世はよく頑張った。相変わらず不眠不休の勉強が続く。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月6日土曜日

無比

文化的にも経済的にも、はるかにすすんでいるアメリカにきて、この国に負けないものとして国体の無比(むひ)をあげるところなど、良きにつけ悪きにつけ、英世は明治の日本人であった。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月5日金曜日

眉唾

野口英世の一部の伝記には、「これで佐藤某の性病や、山崎某の心臓病など長年の難病が一度に治り、いずれも長生きした」と書かれているが、これは眉唾(まゆつば)である。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月4日木曜日

炯眼

石黒忠悳は越後の出で、長州・土佐といった明治政府閥とは無縁ながら、華族になっただけあって、ものにこだわらない炯眼(けいがん)の主であった。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月3日水曜日

鉄面皮

このあたりは鉄面皮(てつめんぴ)に金を無心して歩いた男とは思えぬ殊勝さである。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月2日火曜日

遺賢

野に遺賢(いけん)ありとはいえ、一応、優秀なのは帝大に入っているのだから、そこからくる人材で間に合うという考えでもあった。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年4月1日月曜日

債鬼

清作を知っている者は、すなわち被害者、いいかえると清作はいつも債鬼(さいき)のなかで暮らしていたともいえる。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月31日日曜日

轡を並べる

順天堂医院は当時湯島にあり、千葉佐倉出身の外科医、佐藤尚中が創設しただけに、外科学の大家が轡を並べ(くつわをならべ)ていた。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月28日木曜日

水呑百姓

水呑百姓(みずのみひゃくしょう)の手ん棒であったころを知っている故郷の者達は、たとえ医師免許をえたからといって、すぐ集まってくるとは思えない。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月25日月曜日

邂逅

ともかく、この夏の血脇守之助との邂逅(かいこう)が、小林栄、渡部鼎に次ぐ、第三の重要な人物を知る発端となった。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月24日日曜日

人後に落ちない

しかし勝気なことではシカも清作も人後におちない(じんごにおちない)。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月22日金曜日

くりごと

病院に行くお金がなかったから片輪になった、というのはシカのくりごと(繰り言)で、病院に行ったとしても、結果はさして変わりはなかったかもしれない。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月19日火曜日

猖獗

太陽が猖獗(しょうけつ)をきわめるいま、人々は家のなかか樹蔭で休み、白い街は息を潜めてひたすら陽が傾くのを待っていた。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月18日月曜日

棒引き

そないまでして、借金の棒引き(ぼうびき)せんなりまへんか!

山崎豊子『花のれん』

2024年3月17日日曜日

交錯

ダッ、ダッ、ダッ、夜の坂道を降りていく久男の軍靴の足音と、赤く燃え上がっている大阪の空とが、多加の眼と耳の中で、激しく交錯(こうさく)した。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月16日土曜日

接ぎ穂

何かしんみり話し合いたいと思ったが、急に話の接穂(つぎほ)もなかった。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月8日金曜日

はねる

翌日から多加は、寄席がはねる(はねる)と、あとの始末をガマ口に任せて、紅梅亭から二丁ほどの戎橋筋へ出る四つ辻で、電信柱の陰に隠れて佇んでいた。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月7日木曜日

木戸銭

木戸銭(きどせん)も紅梅亭の二十銭に対して十銭にしたが、遊蕩客や通の多い法善寺界隈では、木戸銭の高い安いなど問題にしない。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月6日水曜日

上背のある

紅白の幔幕や、四斗樽の軒積みに飾られた正月の賑わいの中を、黒いインバネスを纏った上背のある(うわぜいのある)体が、見え隠れしながら、ゆっくりたち去って行った。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月5日火曜日

遥拝

冗談かと思っていると、孝平は翌日、朝起きて顔を洗うなり、東京店の方を向いて、皆に丁寧に遥拝(ようはい)させた。

山崎豊子『暖簾

2024年3月4日月曜日

購う

しかし、これが自分の実力で購い(あがない)得た最初の拠点だ、ここから働いて、徐々に巨大な拠点に広めて行くのだと、孝平は大きな眼を赤く充血させた。

山崎豊子『暖簾

2024年3月2日土曜日

雌伏

長い間、雌伏(しふく)して商いを勉強していた孝平に、はじめて大きなチャンスが近付いて来た。

山崎豊子『暖簾

2024年2月28日水曜日

海千山千

孝平は、こんな海千、山千(うみせんやません)の金を追いかける商人たちの中で、激しく揉みぬかれながら、強靭な商人のかけひきを学び取っていた。

山崎豊子『暖簾

2024年2月26日月曜日

尻からげ

お前、せっかくしたけどこれ逆結びや、こんな結び方やったら運送屋も受け取ってくれへん、旦那の兵児帯みたいにすぐ解けてしまうわと、いきなり尻からげ(しりからげ)して、荒縄をとってぐっとしごき、片足を荷物にかけてくっくっと結び目を固めて行った——。

山崎豊子『暖簾

2024年2月25日日曜日

応召

三男の忠平も昭和十八年の初めに応召(おうしょう)した。一軒の家から三人も出征し、名誉の戦死者まで出たので『忠勇の家』と貼紙され、吾平は町会から銃後奉公部長に任命された。

山崎豊子『暖簾

2024年2月24日土曜日

一角

本家の旦那はんが死に際に、吾平、浪花屋の暖簾大事にしてやといいはった、百貨店まで進出できたのも老舗の暖簾あってこそや、船場に奉公して、船場商人のしきたりの中で一かど(ひとかど)の商人になったわいや、店先の暖簾ははずされへん。

山崎豊子『暖簾

2024年2月23日金曜日

朴訥

朴訥(ぼくとつ)ではあるが、真面目で真剣な挨拶であった。

山崎豊子『暖簾

2024年2月21日水曜日

正鵠を得る

吾平の言葉は、捜査主任の期待していた答えと違ったが、正鵠を得(せいこくをえ)たものだった。

山崎豊子『暖簾

2024年2月20日火曜日

左前

先代の旦那はんの死後、左前(ひだりまえ)であることは聞き知ってはいたが、こんなににべなく断られるとは思わなかった。

山崎豊子『暖簾

2024年2月19日月曜日

阿鼻叫喚

蒸されるような熱気と、濛々と吹きつける土煙りの中で、人の波が渦巻き、阿鼻叫喚(あびきょうかん)であった。

山崎豊子『暖簾

2024年2月18日日曜日

贅六

大阪贅六(ぜいろく)が——と、ぬれ手に粟をつかむように、ボロ儲けすると思われていた大阪商人の蓄財の道は、一にも二にも節約(しまつ)、節約だった。

山崎豊子『暖簾

2024年2月17日土曜日

辛気臭い

いえ、こんな辛気くさい(しんきくさい)こと、一向性に合え致しません。

山崎豊子『暖簾

2024年2月13日火曜日

目鼻がつく

自分の研究に目鼻がつか(めはながつか)ないことに、じりじりしていた。

湯川秀樹『旅人

2024年2月11日日曜日

文人墨客

文人墨客(ぶんじんぼっきゃく、ぶんじんぼっかく)が、ここに足をとどめた時代もあったらしい。

湯川秀樹『旅人

2024年2月10日土曜日

多事多端

昭和7年、すなわち一九三二年は、物理学界にとって、——私自身がそうだったより以上に、多事多端(たじたたん)な一年であった。一つだけでも画期的な発見といってよいような事件が、三つも続けざまに起った。

湯川秀樹『旅人

2024年2月9日金曜日

狂瀾怒濤

しばらくは比較的、平穏な時期が続いていた。ところが突如として、再び狂瀾怒濤(きょうらんどとう)が起こった。そして、いよいよ私自身も、その中に巻きこまれることになったのである。

湯川秀樹『旅人

2024年2月8日木曜日

諫言

譲三郎の父は一徹な人であったらしく、主人に諫言(かんげん)して容れられず、切腹を仰せつけられた。

湯川秀樹『旅人

2024年2月7日水曜日

おぼこ娘

私の方の印象では、彼女は無邪気で、世間的な苦労は全然知らないおぼ(おぼこむすめ)としか思われなかった。

湯川秀樹『旅人

2024年2月6日火曜日

碩学

それと同時に、世界的な碩学(せきがく)というにふさわしい、見識の高さに敬服した。

湯川秀樹『旅人

2024年2月5日月曜日

まごうかたない

東向きの中央入口には、今は工学部燃料化学教室という看板がかかっている。しかしこれこそまごうかたない(紛う方ない)、かつての日の理学部数学、物理学教室である。

湯川秀樹『旅人

2024年2月4日日曜日

弊衣破帽

弊衣破帽(へいいはぼう)、いわばバンカラな三高生や京大生が、飯屋に借金を作る。

湯川秀樹『旅人

2024年2月3日土曜日

手ぐすねを引く

新人を一人でも多く、自分の部に入れようと手ぐすねひい(てぐすねひい)て待っているのである。

湯川秀樹『旅人

2024年2月2日金曜日

古色蒼然

その日から私は子供らしい夢の世界をすてて、むずかしい漢字のならんだ古色蒼然(こしょくそうぜん)たる書物の中に残っている、二千数百年前の古典の世界へ、突然入ってゆくことになった。

湯川秀樹『旅人

2024年2月1日木曜日

気骨が折れる

私は不精者だし、日本人同士のつき合いでさえも、面倒くさく思うことが多い。まして外国人とのつき合いは、気骨が折れる(きぼねがおれる)ばかりである。

湯川秀樹『旅人

2024年1月31日水曜日

肝胆相照らす

なぜならば、光秀と肝胆相照らし(かんたんあいてらし)た藤孝でさえ信長の追善供養のために髪を切ったとなれば、世間は、——藤孝どのまでが。 とあって、光秀への批判、不人気、悪感情はいよいよ増すに違いない。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月30日火曜日

伯楽

流亡し、転々し、ついに信長という不世出の伯楽(はくらく)を得て織田家の大名になった。もっとも、厳密には藤孝は大名ではない。子の忠興が大名である。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月29日月曜日

醇美

思ってみれば足利の伝統よりも天子・公卿の伝統のほうがはるかにふるく、はるかに醇美(じゅんび)である。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月28日日曜日

衣鉢を継ぐ

道三は自分と信長を愛し、その衣鉢を継が(いはつをつが)せようとし、すくなくとも芸の師匠のごとき気持をもってくれていた。その山城入道の相弟子同士が、やがて本能寺で見えることになる。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月27日土曜日

余人

光秀には余人(よじん)以上の痛恨がある。快川紹喜は武家の出で、しかも美濃土岐氏であり、光秀とは同族にあたる。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月26日金曜日

峻拒

この快川が、峻拒(しゅんきょ)した。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月25日木曜日

購う

死をもって今後の声望を購おう(あがなおう)と、家康はおもった。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月24日水曜日

泰然自若

こういういわば絶体絶命の場合、伝統的な英雄ならば焦燥をふかく蔵して外貌は泰然自若(たいぜんじじゃく)としているのであろう。が、信長はそうではなかった。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月23日火曜日

一蓮托生

翻って考えてみれば、三河の徳川殿は織田家とのつながりがここまで深間に入った以上、もはや一蓮托生(いちれんたくしょう)の運命を覚悟せねばならないのであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月22日月曜日

えたりかしこし

この国境の狭隘部に多数の軍兵を入れて街道にひしめきあわせれば、浅井・朝倉の連合軍はえたりかしこし(えたりかしこし)と突撃してくるであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月21日日曜日

懐手

すべて当の義昭が懐ろ手(ふところで)をしているまに事が運んだ。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月20日土曜日

とんじゃく

むろん信長は、光秀の心痛などとんじゃく(頓着)もしていない。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月19日金曜日

古色蒼然

そういう信長のやり方を認めれば、自分の戦術思想が古色蒼然(こしょくそうぜん)たる反故に化してしまうからである。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月18日木曜日

似気ない

怜悧な兵部大輔殿にも似気なく(にげなく)、わけのわからぬことを申される。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月17日水曜日

虎狼の心

とにかく幕臣としての細川藤孝にすれば、信長の親切はありがたいが、ひょっとすると虎狼の心(ころうのこころ)が隠されているのではあるまいかとそれのみが気になる。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月16日火曜日

軽躁

実のところ藤孝は、かれ自身が世間にひっぱり出してきたこの義秋という僧侶あがりの貴人が、あまりに軽躁(けいそう)な性格であることに多少、いやけがさしはじめている。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月15日月曜日

謀反気

能力があっても、謀反気(むほんぎ)のつよい理屈屋を信長は好まず、それらの者は織田家の先鋭きわまりない「目的」に適わぬ者として、追放されたり、ときには殺されたりした。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月14日日曜日

気宇

信長は数日、堺に滞在した。堺は、かれの気宇(きう)と世界知識を育てるための学校の役割りをはたしたであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月13日土曜日

画餅に帰す

そのことも画餅に帰し(がべいにきし)た。今川殿不慮の討死の風聞は今日あたり京にきこえているであろうが、都の貴顕紳士のなげきはいかばかりであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月12日金曜日

三嘆

光秀の顔をのぞきこむようにして三嘆(さんたん)した。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月11日木曜日

機縁

妖怪といえども、光秀の人生を決定する得がたき機縁(きえん)にならぬともかぎらぬ。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月9日火曜日

しかつめらしい

すでに去年に元服させて、織田上総介信長というしかつめらしい(しかつめらしい)名乗りを名乗らせてあった。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月8日月曜日

俳優

世間を相手に大芝居を打つほどの男は、なまなかな俳優(わざおぎ)の足元にもよれぬほどの演技力があるのであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月7日日曜日

徒手空拳

京から流れこんだどこの馬の骨ともしれぬ徒手空拳(としゅくうけん)の庄九郎を引き立てたのは長井一族である。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月6日土曜日

権謀術数

庄九郎にとってなにが面白いといっても権謀術数(けんぼうじゅっすう)ほどおもしろいものはない。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月5日金曜日

権門勢家

しかしながら権門勢家(けんもんせいか)の兄弟ほど油断のならぬものはござりませぬ。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月4日木曜日

きなくさい

むろん、たかが八歳の女児、ということはわかっている。しかし那那という児に対する庄九郎の態度は、どこかきなくさい(きなくさい)。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月3日水曜日

披瀝

明智一族が鷺山の土岐頼芸に味方する以上、明智側から人質をさしだすのが、この時代の当然の礼儀であり、政治的表明であり、誠意の披瀝(ひれき)であり、ごく常識的なルールである。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月2日火曜日

健啖

「いまひと椀」と、庄九郎は、小姓に椀を出した。小姓が六つ目を盛った。「ご健啖(けんたん)でござるな」と、明智頼高があきれた。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月1日月曜日

深窓

頼芸様は、たよれるお人ではない、いかに深窓(しんそう)そだちの深芳野でも、そう思わざるをえない。

司馬遼太郎『国盗り物語