それだけの言葉の中にも、にじみ出た文雅(ぶんが)への素養というものが感じとられる。
司馬遼太郎『国盗り物語』
とまれ、庄九郎はつぎつぎと新商法をあみだしては油を売り、奈良屋の身代(しんだい)はみるみるふとった。
つらい仕事だ。だてや酔狂(すいきょう)でできるものではないのである。
なんと庄九郎は、奈良屋の主人のくせに、店の売り子にまじり、そういう振り売り(ふりうり)の行商までやった。
庄九郎は桑門(そうもん)の育ちである。
はずむ思いで玄関で案内を乞い、出てきた僧にいきなり多額のぜにを与えた。「ご喜捨、ご奇特に存ずる」と、僧は、下へもおかぬ(したへもおかぬ)態度をとった。
お万阿様は、懸想(けそう)なされたのではあるまいか。
奈良屋の御料人(ごりょうにん)様でございます。
しかしおれには、天稟(てんぴん)の武略がある。
漢の高祖をみろ。氏も素姓も学問もない百姓の子で、若い頃は郷里の沛の町でも鼻つまみ(はなつまみ)の無頼漢だった。
資金拵えが難しかですなあ。さて、今の大浦屋がどこまで借りられるものやら。それとも、その杉山しゃんが分限者(ぶげんしゃ)であられるとですか。
朝井まかて『グッドバイ』
しかしその存念を明かしたことはなく、坂本龍馬のように大きな気宇(きう)でもって若者らを率いる気配もなかった。
助力を引き受けた限りは快く振る舞うべきだと、料簡(りょうけん)していた。
きょうだいは妙なところが似るもんたいと、お慶は苦笑を零し(こぼし)た。
外国商人が大浦屋を信用すること一方ならず(ひとかたならず)、新政府をしのぐのではあるまいか。
父はもはや手水に立てぬので襁褓(むつき)をあてているが、その世話はお慶と亥之二で引き受けている。
すなわち、すんでのところで戦端が開かれるところであったのだ。向後(きょうこう)もわからんね。薩摩は一藩でも討幕にかかる気たい。
長州征伐に臨んでいた幕府軍が総崩れになった。薩摩が出兵しなかったとはいえ、幕府軍の優勢が伝えられていたのだ。友助がジョンに確かめたところ、流言飛語(りゅうげんひご)ではないらしいい。
しかも祝言から七日も経たぬうちに破鏡(はきょう)した。今となっては、どんな亭主であったか顔も思い出せない。
そしたら宗次郎しゃんも、ガラバアしゃんに銀子(ぎんす)を用立ててもろうたとでしょうか。
わしはいつも、風月同天(ふうげつてんをおなじゆうす)を思うちょります。
それを喰い止めるべくいろいろと思案を出したというのに、あんたらは洟もひっかけん(はなもひっかけん)かったやなかか。
その後は口の中で言葉を転がすだけで、さっぱり要領を得ない。が、すぐに思い当たった。雁首揃え(がんくびそろえ)て、その費えを頼みにきたのだ。
仲間の落魄を種にしてあてこする(あてこする)とは、姑息じゃなかか。
それにしても頭の中が蕪雑ににできている連中だと、お希以は鼻白ん(はなじろん)だ。
「よほど運の強かとやろう。去年も物騒なことにならんで、まあ、何よりやった」お為ごかし(おためごかし)な言い方をしつつ、周囲に妙な目配せをする。
油商にとって「日向の油」とは、阿漕(あこぎ)な商いを指している。油には妙な性質があり、熱を帯びると嵩を増すのだ。