郷士は単に身分にすぎず、郷士には富家(ふか)もあったが、しかし桐野の生家は極貧であった。
司馬遼太郎『翔ぶが如く』
それが、西郷と大久保という、当時の日本の人材水準をはるかに越えた両人の英雄的活動によって革命主力となり、そのあざやかな手腕によって戦いに倦ま(うま)ぬまま革命を樹立させたのである。
司馬遼太郎『翔ぶが如く』
もっとも民権家になった沼間守一ばかりは、のちの河野の秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)的な国家擁護主義を、河野に限って許容し、許容したばかりか、たれをつかまえても馬鹿よばわりした沼間のようなうるさい男が、さきにふれたように、
司馬遼太郎『翔ぶが如く』
一九四一年七月のスモレンスク戦終了後、ドイツ軍指導部の多くは、国境会戦でソ連軍主力を潰滅させ、しかるのちに無人の野を行くがごとく、ヨーロッパ・ロシアの要地を占領するというもくろみが画餅に帰し(がべいにきし)たことを悟った。
大木毅『独ソ戦』
職務上知り得た秘密情報は、墓場まで持って行くというのが外務官僚の美学らしいが、国家の情報は誰のものかという意識に欠け、三十年近く経った今なお旧態依然(きゅうたいいぜん)とした秘密主義には、呆れるばかりだった。
山崎豊子『運命の人』
長い間、アメーバ赤痢に 苛まれ(さいなまれ)餓え、先生の巨軀と強靭な体力であればこそ、今まで持ちこたえて来られたのだろうが、もう自ら手足を動かせる余力さえ残っていないのかもしれない。
山崎豊子『運命の人』
東京の妻への手紙を書くためだったが、なかなか文言が出て来ない、長年にわたって音信を断ち、由里子が現在、どうしているか解らない自分の無責任さに忸怩(じくじ)とするばかりだった。
山崎豊子『運命の人』
【さみだれしき】off and on manner; intermittent style; dragging on and on
五月雨式に申し訳ございません。受講期日が 令和2年3月8日(金)とお知らせしましたが、締め切りに関わらず、速やかに受講していただくようお願い申し上
一審の判決は、電信文の実質秘性、報道機関の公共的使命、取材の許容範囲など、それぞれ別々に比較衡量出来ないことを、十把一からげ(じっぱひとからげ)にして総合判断を導き出している点がおかしいと批判的ですね。
山崎豊子『運命の人』
私は三木さんのご経歴を調べ、ご親戚筋に外務省のエリートだった方もいらしたことも知りました、歴と(れっきと)した方なのに、まるで奥さんのヒモ呼ばわりされ、名誉毀損もいいところです。
山崎豊子『運命の人』
ニュースソースの関係で、自身が記事にする時さえ、はっきり書けず、隔靴掻痒(かっかそうよう)の思いでいるのですから、お渡しすることは出来ませんね、政治家は政治家なりの方法で、この密約を暴いて下さいよ。
山崎豊子『運命の人』
純粋な生き方しか出来ない父に、生き馬の目を抜く新聞の世界で、抜いた抜かれたのスクープ合戦に明け暮れる夫の仕事についての心配を話したところで、心を痛めるだけかもしれない。
山崎豊子『運命の人』