国で主君(土井利忠)が一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで大野丸の到着を待っておられるというのに、自分の不注意からつまらぬ病気にかかったばかりにこんな遅滞を招いてしまった、もう病気も癒ったのであるから、こんなところにぐずぐずしていないで、一日も早く敦賀に行かねば申し訳が立たない、というのであった。
綱淵謙錠『朔』
国で主君(土井利忠)が一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで大野丸の到着を待っておられるというのに、自分の不注意からつまらぬ病気にかかったばかりにこんな遅滞を招いてしまった、もう病気も癒ったのであるから、こんなところにぐずぐずしていないで、一日も早く敦賀に行かねば申し訳が立たない、というのであった。
綱淵謙錠『朔』
戦争の実相に慄然とした船岡勢も、はじめのうちこそかような行為をする敵兵を憎んだが、そのうちにはなんとも思わなくなり、自分達もまた進んで掠奪(りゃくだつ)をし、放火をし、次第に相貌まで変えて荒ませていった。
大池唯雄『秋田口の兄弟』
仙台領柴田郡船岡村は伊達家御一家五千石柴田中務意広の知行所であったが、戦況は日に日に味方に不利で、官軍は日ならずして(ひならずして)国境に迫ろうとしているという風評がしきりであった。
大池唯雄『秋田口の兄弟』