孝平は、こんな海千、山千(うみせんやません)の金を追いかける商人たちの中で、激しく揉みぬかれながら、強靭な商人のかけひきを学び取っていた。
山崎豊子『暖簾』
お前、せっかくしたけどこれ逆結びや、こんな結び方やったら運送屋も受け取ってくれへん、旦那の兵児帯みたいにすぐ解けてしまうわと、いきなり尻からげ(しりからげ)して、荒縄をとってぐっとしごき、片足を荷物にかけてくっくっと結び目を固めて行った——。
山崎豊子『暖簾』
本家の旦那はんが死に際に、吾平、浪花屋の暖簾大事にしてやといいはった、百貨店まで進出できたのも老舗の暖簾あってこそや、船場に奉公して、船場商人のしきたりの中で一かど(ひとかど)の商人になったわいや、店先の暖簾ははずされへん。
山崎豊子『暖簾』
昭和7年、すなわち一九三二年は、物理学界にとって、——私自身がそうだったより以上に、多事多端(たじたたん)な一年であった。一つだけでも画期的な発見といってよいような事件が、三つも続けざまに起った。
湯川秀樹『旅人』
しばらくは比較的、平穏な時期が続いていた。ところが突如として、再び狂瀾怒濤(きょうらんどとう)が起こった。そして、いよいよ私自身も、その中に巻きこまれることになったのである。
湯川秀樹『旅人』
その日から私は子供らしい夢の世界をすてて、むずかしい漢字のならんだ古色蒼然(こしょくそうぜん)たる書物の中に残っている、二千数百年前の古典の世界へ、突然入ってゆくことになった。
湯川秀樹『旅人』