寄合で使う座敷とは逆の方向に向かっており、雪隠(せっちん)の前を通り過ぎ、さらに庭へ下り立つ。
朝井まかて『グッドバイ』
竹谷家は「河仁」の屋号で通る老舗で大浦屋と同じ油商であったが、財の充実した先代が暖簾を仕舞い、市中の方々に持つ土地や長屋を貸して悠々緩々(ゆうゆうかんかん)の暮らしを続けている。
朝井まかて『グッドバイ』
お希以は己で何とかしよる、この家も位牌も何とかしてくれる。そんな料簡(りょうけん)だったとしか思えないのだ。でなければ、あんなふうに鼠のごとく去れるわけがない。お希以も我が娘であるのに一顧だにせず、脇目も振らず。
朝井まかて『グッドバイ』
よく、外国から帰ってきた人たちは、外国じこみのスマートな身なり、身のこなしを身につけていたのに、TN君には、そうしたところがない。彼は、そうしたこととは無縁で、知っている人たちから自然児とあだなされたほど天衣無縫(てんいむほう)だった。
なだいなだ『TN君の伝記』
TN君は、板垣に、そう答えて笑い、いまのところ出版するつもりがないといった。そのかわり、学生のノートが、つぎつぎと書き写され、日本中にひろまっていくのを、じっと見つめていた。それは、まったく燎原の火(りょうげんのひ)という表現にふさわしい、いきおいだった。
なだいなだ『TN君の伝記』
その日の夕方、羽田のオペレーションセンターの講堂は、制服姿の機長をはじめとする乗員、スチュワーデス、作業衣の整備士やスーツ姿の一般地上職が集まって、立錐の余地もない(りっすいのよちもない)ほどであった。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
そもそも国見会長には、国民航空の宿痾(しゅくあ)である労務問題を打開して貰うため出馬願ったのに、社内最大の組合と真っ向から対立し、批判の声明を出されて以来、ごたごた続きで、以前より組合間の対立が深刻化したと評する向きもある。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
「副総理の益々のご健康を念じて、北京から自社便で取り寄せたものでございます」と云い、麗々しい(れいれいしい)包装の箱を差し出したが、その中には竹丸が取りまとめる閣僚の謝礼分と共に、野党対策費も入っていたのだった。
山崎豊子『沈まぬ太陽』