そのためには、百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)の族議員にも、運輸大臣にも悟られず、極秘裡に総理の"影の参謀"と云われる男を介して、一挙にことを決めてしまうことであった。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
「私がとやかく申すことではありませんが、権威であられる先生方に混って、各航空会社の乗員、客乗の諸組合、その上部団体の幹部など、やけに組合関係者の応募が目だちますね、こういう連中は、どんな事故の場合でも、事故調に偏見を持って、異論を唱えて来ますから、除外ということにしないと、矢武先生、大へんですよ」お為ごかし(おためごかし)に云った。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
裁判沙汰になれば、国民航空には腕利きの高名な顧問弁護士がずらりと控えているから、特に痛痒は感じない(つうようはかんじない)が、訴えられては、"補償交渉のプロ"と評価されている自分の名前に傷がつく。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
それにしても、まだ話合いも進めていない夫の補償金に、親弟妹が、鵜の目鷹の目(うのめたかのめ)なのを知るにつけ、お金が人の心をこれほど変えるものなのかと思い知らされた。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
国民航空が、真剣に遺族との補償交渉に取り組もうとするなら、定年前や窓際族の社員より、会社の将来を担うエリートが、事故の凄惨さと遺族の塗炭の苦しみ(とたんのくるしみ)、そして遺族と会社との板挟みになっている補償係の立場を理解してこそ、誠意ある補償と安全に対する心構えができる——、それが恩地の補償に対する考えであった。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
だが事故調が独立機関とはいえ、存立の基礎が運輸省にある日本の実情では、委員長が、運輸大臣に建議を行うことは行政絡みから微妙であり、一つ間違えば日米間の大きな問題にも発展しかねないだけに、米国側と良好な関係を保ちたい運輸省としては、頰かむり(ほおかむり)しておきたい心中がみえみえであった。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
部長の行天以下、通常の二倍の数で対応していた部員たちはコーヒーや、ビールのおつまみ、サンドイッチなどで虫養い(むしやしない)しながら、事故を取り上げるテレビのニュース番組や報道特集を見、ビデオに録画して、明日のコメントに備える体制を取っていた。
山崎豊子『沈まぬ太陽』
背の低さを隠すために、いつもヒールの高い靴を履いて、国会内を走り廻るいやな相手であったが、運輸委員会で、些細なことを大袈裟な問題にして、小賢しい(こざかしい)質問をされることを思えば、ご機嫌を取るくらい、わけはない。
山崎豊子『沈まぬ太陽』