2024年3月31日日曜日

轡を並べる

順天堂医院は当時湯島にあり、千葉佐倉出身の外科医、佐藤尚中が創設しただけに、外科学の大家が轡を並べ(くつわをならべ)ていた。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月28日木曜日

水呑百姓

水呑百姓(みずのみひゃくしょう)の手ん棒であったころを知っている故郷の者達は、たとえ医師免許をえたからといって、すぐ集まってくるとは思えない。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月25日月曜日

邂逅

ともかく、この夏の血脇守之助との邂逅(かいこう)が、小林栄、渡部鼎に次ぐ、第三の重要な人物を知る発端となった。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月24日日曜日

人後に落ちない

しかし勝気なことではシカも清作も人後におちない(じんごにおちない)。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月22日金曜日

くりごと

病院に行くお金がなかったから片輪になった、というのはシカのくりごと(繰り言)で、病院に行ったとしても、結果はさして変わりはなかったかもしれない。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月19日火曜日

猖獗

太陽が猖獗(しょうけつ)をきわめるいま、人々は家のなかか樹蔭で休み、白い街は息を潜めてひたすら陽が傾くのを待っていた。

渡辺淳一『遠き落日』

2024年3月18日月曜日

棒引き

そないまでして、借金の棒引き(ぼうびき)せんなりまへんか!

山崎豊子『花のれん』

2024年3月17日日曜日

交錯

ダッ、ダッ、ダッ、夜の坂道を降りていく久男の軍靴の足音と、赤く燃え上がっている大阪の空とが、多加の眼と耳の中で、激しく交錯(こうさく)した。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月16日土曜日

接ぎ穂

何かしんみり話し合いたいと思ったが、急に話の接穂(つぎほ)もなかった。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月8日金曜日

はねる

翌日から多加は、寄席がはねる(はねる)と、あとの始末をガマ口に任せて、紅梅亭から二丁ほどの戎橋筋へ出る四つ辻で、電信柱の陰に隠れて佇んでいた。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月7日木曜日

木戸銭

木戸銭(きどせん)も紅梅亭の二十銭に対して十銭にしたが、遊蕩客や通の多い法善寺界隈では、木戸銭の高い安いなど問題にしない。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月6日水曜日

上背のある

紅白の幔幕や、四斗樽の軒積みに飾られた正月の賑わいの中を、黒いインバネスを纏った上背のある(うわぜいのある)体が、見え隠れしながら、ゆっくりたち去って行った。

山崎豊子『花のれん』

2024年3月5日火曜日

遥拝

冗談かと思っていると、孝平は翌日、朝起きて顔を洗うなり、東京店の方を向いて、皆に丁寧に遥拝(ようはい)させた。

山崎豊子『暖簾

2024年3月4日月曜日

購う

しかし、これが自分の実力で購い(あがない)得た最初の拠点だ、ここから働いて、徐々に巨大な拠点に広めて行くのだと、孝平は大きな眼を赤く充血させた。

山崎豊子『暖簾

2024年3月2日土曜日

雌伏

長い間、雌伏(しふく)して商いを勉強していた孝平に、はじめて大きなチャンスが近付いて来た。

山崎豊子『暖簾