上下二巻、合計千数百ページという、ぶ厚いものである。再読三読し、おおよそのことはわかった。
星新一『明治の人物誌』
しかし、実体は梁山泊(りょうざんぱく)で、ぴんからきりまで、わけのわからぬ連中が出入りしていた。
そして、象二郎が八ヶ月の外遊をおえて帰国すると、猛太郎は以前のごとく、新橋、柳橋の花柳界(かりゅうかい)で、酒よ芸者よと遊びに浸っている。
上海事変に関する当局の声明は、三百代言(さんびゃくだいげん)的と言うほかはない。
これによって彼の性格から才子(さいし)的な面が消え、悩みからは解放され、希望を持てるようになったのである。