満月に近い月の白く艶やかな光に照らされた祠は、それなりに意味深く、いくらか禍々し(まがまがし)くさえ見えたのだが、今ではただの色褪せた貧相な木箱にしか見えなかった。
村上春樹『騎士団長殺し』
東京に戻ってきて、長いあいだ独身生活を送っていたが、絵を描くだけで十分生活できるようになってから、突然思いついたように郷里の遠縁の女性と結婚した。まるで人生の帳尻を合わせる(ちょうじりをあわせる)みたいにさ。
村上春樹『騎士団長殺し』
彼はトビケラを飼って繁殖させることができればと考えているのだが、それを試みようにも、彼らを交尾させることができないと語った。これに対して、最前列にいた昆虫学の教授が、まるでいちばん自明な事柄を見過ごしているといわんばかりに、大声で。がなりたてたのだ。
リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』
しかしその徳は、かれの生来のものであり、メッキではなかった。まやかしものではなかったのである。率先垂範(そっせんすいはん)、先憂後楽のかれの日常行動は、多くの人々の心をうった。かれが、贋物ではなく、本物の誠実な人間であったからである。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
竹俣の来訪を、鷹山は表面は当惑しながらも心の中では喜んだ。思ったことをズケズケいい、しかもそのズケズケいうことばの中に、深い内容があるからだ。ひとことでいえば、おなじ水準の話ができるツーカーの仲(つうかあのなか)だったからだ。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
治広は、木村がことごとに口にする、「お屋形さまなら、こうなさる」ということばに食傷(しょくしょう)した。食傷しただけでなく、しまいには怒った。しかも木村の教育が十九歳になるまでつづいたから、治広は完全にかたくなになってしまった。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
謙信の法要はおこなわれた。しかし代参の竹俣が欠席した会場は、落ち着いて礼拝する者はいなかった。参会者は、上杉家始まって以来のこの椿事(ちんじ)に、すべての者が動転していた。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
この日、治憲の恩情ある計らいを受けながら、しかし竹俣は心を入れ替えなかった。しばらくしてから竹俣の堕落ぶりは逆に速度をました。相変わらず追従する腰巾着(こしぎんちゃく)を連れて村々を歩いては馳走を強要した。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
須田は、国もとでの重役たちの動きを、手にとるように知っていた。というより、かれもその一味だった。米沢本国での"火種組"の行動は、重役たちからみれば目に余っ(めにあまっ)た。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
鳩首(きゅうしゅ)して、対策を協議するが、いい知恵は出ない。結論が決まっているからである。すべては金に帰着する。そして、その金がいまの上杉藩にとって、もっともないもののひとつであった。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
ここの宿主が商用で江戸に来て千代を気にいり、何度かかよって、「女房になってくれ」と懇願した。からだの弱そうな誠実な男だった。男の実にほだされ(絆され)て、千代は小野川に来た。ようやく温泉宿の経営をおぼえたころ、亭主が死んだ。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
一つの火種が十にも二十にもなった。そしてそれぞれがまた新しい炭に移された。炭火は十倍にも二十倍にもなったのである。これが、雪の道に燃えた、新しい富民(ふみん)のための改革の火種であった。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
その古い池を、棒を持ってかきまわしに行こう、と決意したものの、治憲は決して短兵急(たんぺいきゅう)にいきなりその池をかきまわしてはならない、と自分にいいきかせた。
童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』
巷間よく(こうかんよく)、今現在は一人の高齢者を二人の現役世代で支えているけど、早晩一人で支える時代になると言われていますが、私はそれすらも甘い見立てだと思っていましてね。
楡周平『限界国家』
七夕っていやあ仙台だけど、あれと似たような飾りが商店街のメインストリートを埋め尽くしてさ。それこそ、立錐の余地もない、芋洗い状態(いもあらいじょうたい)ってやつだったんだ。
楡周平『限界国家』
役所は前例主義ですからね。少子化対策なんて、これまでやったことないんですし、無事これ名馬(ぶじこれめいば)ですからね。下手に大胆な策を打ち出したはいいけど、失敗したら出世できなくなっちゃんうんですもん。
楡周平『限界国家』
私も、七十五歳になりましたのでねえ。生涯現役を貫こうとする方もおられるが、技術、社会、国際情勢、全てのことがすさまじい速さで変化している時代ですのでね。いつまでも、年寄りがトップにいたのでは、ろくなことにならない。遅きに失し(おそきにしっし)た感は否めませんが、この辺が潮時かと思うに至ったわけです。
楡周平『限界国家』
近づいて声をかけると、ルーペ越しに試作品を観察していた立花が、血走った目を向けてきた。髪をひっつめ(引詰)にして作業している加納にも、疲労が滲んでいる。
池井戸潤『下町ロケット ガウディ計画』
医者一家に生まれながら、自らは医学に進まず公認会計士となった"はぐれ者"だが、会計知識を武器にして、あれやこれやと大学のやり方に容喙(ようかい)してくる難敵である。
池井戸潤『下町ロケット ガウディ計画』
佃製作所には、小型エンジン関連の営業第一部と、それ以外の営業第二部という二つの営業部があり、ご多分にもれず(ごたぶんにもれず)、双方で張り合うライバル関係にある。
池井戸潤『下町ロケット ガウディ計画』