父は放胆(ほうたん)な男で、かまうことないから、思い切ったことをやれと、いつも自分に言ったものだ。
星新一『明治の人物誌』
こんな立派な計画も、すぐさま馬脚をあらわし(ばきゃく)た。
星新一『人民は弱し 官吏は強し』
しかし、名声は高くても、彼は金銭に恬淡(てんたん)な性格のため、少しも金の用意がなかった。
他人が汗を流すのをふところ手(ふところで)で眺めていて、その成果を横取りしようとする連中のほうが悪い。
後藤はその企画力と実行力によって、都市計画に交通に産業に、着々と治績(ちせき)をあげていた。
一朝(いっちょう)事あらば滑走路にでも早替りしそうな堅固な道路の左手にフェンスが連なりはじめた。
山崎豊子『運命の人』
職務上知り得た秘密情報は、墓場まで持って行くというのが外務官僚の美学らしいが、国家の情報は誰のものかという意識に欠け、三十年近く経った今なお旧態依然(きゅうたいいぜん)とした秘密主義には、呆れるばかりだった。
由里子は、答えようがなかったが、夫を信じているという矜持(きょうじ)が、自分を支えているのかもしれない。