2024年1月31日水曜日

肝胆相照らす

なぜならば、光秀と肝胆相照らし(かんたんあいてらし)た藤孝でさえ信長の追善供養のために髪を切ったとなれば、世間は、——藤孝どのまでが。 とあって、光秀への批判、不人気、悪感情はいよいよ増すに違いない。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月30日火曜日

伯楽

流亡し、転々し、ついに信長という不世出の伯楽(はくらく)を得て織田家の大名になった。もっとも、厳密には藤孝は大名ではない。子の忠興が大名である。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月29日月曜日

醇美

思ってみれば足利の伝統よりも天子・公卿の伝統のほうがはるかにふるく、はるかに醇美(じゅんび)である。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月28日日曜日

衣鉢を継ぐ

道三は自分と信長を愛し、その衣鉢を継が(いはつをつが)せようとし、すくなくとも芸の師匠のごとき気持をもってくれていた。その山城入道の相弟子同士が、やがて本能寺で見えることになる。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月27日土曜日

余人

光秀には余人(よじん)以上の痛恨がある。快川紹喜は武家の出で、しかも美濃土岐氏であり、光秀とは同族にあたる。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月26日金曜日

峻拒

この快川が、峻拒(しゅんきょ)した。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月25日木曜日

購う

死をもって今後の声望を購おう(あがなおう)と、家康はおもった。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月24日水曜日

泰然自若

こういういわば絶体絶命の場合、伝統的な英雄ならば焦燥をふかく蔵して外貌は泰然自若(たいぜんじじゃく)としているのであろう。が、信長はそうではなかった。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月23日火曜日

一蓮托生

翻って考えてみれば、三河の徳川殿は織田家とのつながりがここまで深間に入った以上、もはや一蓮托生(いちれんたくしょう)の運命を覚悟せねばならないのであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月22日月曜日

えたりかしこし

この国境の狭隘部に多数の軍兵を入れて街道にひしめきあわせれば、浅井・朝倉の連合軍はえたりかしこし(えたりかしこし)と突撃してくるであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月21日日曜日

懐手

すべて当の義昭が懐ろ手(ふところで)をしているまに事が運んだ。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月20日土曜日

とんじゃく

むろん信長は、光秀の心痛などとんじゃく(頓着)もしていない。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月19日金曜日

古色蒼然

そういう信長のやり方を認めれば、自分の戦術思想が古色蒼然(こしょくそうぜん)たる反故に化してしまうからである。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月18日木曜日

似気ない

怜悧な兵部大輔殿にも似気なく(にげなく)、わけのわからぬことを申される。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月17日水曜日

虎狼の心

とにかく幕臣としての細川藤孝にすれば、信長の親切はありがたいが、ひょっとすると虎狼の心(ころうのこころ)が隠されているのではあるまいかとそれのみが気になる。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月16日火曜日

軽躁

実のところ藤孝は、かれ自身が世間にひっぱり出してきたこの義秋という僧侶あがりの貴人が、あまりに軽躁(けいそう)な性格であることに多少、いやけがさしはじめている。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月15日月曜日

謀反気

能力があっても、謀反気(むほんぎ)のつよい理屈屋を信長は好まず、それらの者は織田家の先鋭きわまりない「目的」に適わぬ者として、追放されたり、ときには殺されたりした。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月14日日曜日

気宇

信長は数日、堺に滞在した。堺は、かれの気宇(きう)と世界知識を育てるための学校の役割りをはたしたであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月13日土曜日

画餅に帰す

そのことも画餅に帰し(がべいにきし)た。今川殿不慮の討死の風聞は今日あたり京にきこえているであろうが、都の貴顕紳士のなげきはいかばかりであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月12日金曜日

三嘆

光秀の顔をのぞきこむようにして三嘆(さんたん)した。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月11日木曜日

機縁

妖怪といえども、光秀の人生を決定する得がたき機縁(きえん)にならぬともかぎらぬ。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月9日火曜日

しかつめらしい

すでに去年に元服させて、織田上総介信長というしかつめらしい(しかつめらしい)名乗りを名乗らせてあった。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月8日月曜日

俳優

世間を相手に大芝居を打つほどの男は、なまなかな俳優(わざおぎ)の足元にもよれぬほどの演技力があるのであろう。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月7日日曜日

徒手空拳

京から流れこんだどこの馬の骨ともしれぬ徒手空拳(としゅくうけん)の庄九郎を引き立てたのは長井一族である。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月6日土曜日

権謀術数

庄九郎にとってなにが面白いといっても権謀術数(けんぼうじゅっすう)ほどおもしろいものはない。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月5日金曜日

権門勢家

しかしながら権門勢家(けんもんせいか)の兄弟ほど油断のならぬものはござりませぬ。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月4日木曜日

きなくさい

むろん、たかが八歳の女児、ということはわかっている。しかし那那という児に対する庄九郎の態度は、どこかきなくさい(きなくさい)。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月3日水曜日

披瀝

明智一族が鷺山の土岐頼芸に味方する以上、明智側から人質をさしだすのが、この時代の当然の礼儀であり、政治的表明であり、誠意の披瀝(ひれき)であり、ごく常識的なルールである。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月2日火曜日

健啖

「いまひと椀」と、庄九郎は、小姓に椀を出した。小姓が六つ目を盛った。「ご健啖(けんたん)でござるな」と、明智頼高があきれた。

司馬遼太郎『国盗り物語

2024年1月1日月曜日

深窓

頼芸様は、たよれるお人ではない、いかに深窓(しんそう)そだちの深芳野でも、そう思わざるをえない。

司馬遼太郎『国盗り物語