2024年8月31日土曜日

腎虚

唐橋や幾島の手前、案ずるな、となだめているものの、正弘の死を聞いて以来、男が腎虚(じんきょ)になって死ぬほど愛されることが、実は女にとっていちばんしあわせなのではあるまいか、という疑いにとき折取りつかれることがある。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月24日土曜日

容貌魁偉

幾島は地声が大きい上に、例のこぶによって容貌魁偉(ようぼうかいい)というふうな印象を与えたから、言葉に威力があり、今後滝山がどう出るか、気にかかるところでもあった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月21日水曜日

向こう鉢巻

幾島は篤姫の背を叩くようにしてそういったが、それは幾島自身も向う鉢巻(むこうはちまき)で、さあ、と腕まくりしたところだと受取れた。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月20日火曜日

がんぜない

篤姫はもはやその年齢でもないことろからまっすぐ自室に帰って来たが、弟妹三人、まだがんぜない(頑是ない)ところもあって、急に親しみは湧いてこなかった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月18日日曜日

胸三寸

表の使いは幾島が受け、幾島はそのなかで篤姫に聞かすべきは言上し、聞かさぬほうがよい、と判断した場合は胸三寸(むねさんずん)に収めておく。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月17日土曜日

雲助

何しろおびたたしい行列なので、途中は助郷人足を使わねばならず、各藩とも庄屋、郷士の息子など呼び出してその役を課したが、日頃馴れぬ力仕事でその任に耐えぬ者もあり、日当八百文で雲助(くもすけ)を雇って割当てを果たす者が多かったという。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月14日水曜日

雄図

いま、その詩を読むと、頼山陽が十三、四で雄図(ゆうと)を抱き、やっと十八のときその願いが実現して江戸遊学したことがよみがえって来、十八歳といえばいまの自分と同い年だと篤姫は思った。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月12日月曜日

傅育

傅育(ふいく)のお役目は一きわ大切にございます故、幾島も姫さまをかくも立派にお育て申上げた先代のご老女さまのお名を知りとうございます。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月11日日曜日

生害

お部屋には見当りませず、あちこちお捜しいたしまして、ようやく、お長屋の一室でご生害(しょうがい)遊ばされているのを見つけましてございます。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月10日土曜日

一陽来復

当主が心身ともに脆弱のふうで、懸命に勤めを果たしている今和泉家にとって、これは一陽来復(いちようらいふく)にも等しい慶事であり、さっそく内輪の酒宴を、という段取りとなる。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

2024年8月3日土曜日

和魂洋才

斉彬は、いま在国のあいだに信念とする和魂洋才(わこんようさい)の具現に努力し、万金をいとわず長崎から洋書を取寄せて翻訳させ、のちの集成館事業、つまり鉄鋼鋳造、火薬、大小銃砲鋳造、また陶磁器、製紙、搾油、農具、メッキ、硫塩酸の製造など多岐にわたって振興させ、時代の先駆者たる面目を見せるのであった。

宮尾登美子『天璋院篤姫』