それでも、本書の上梓にまでこぎつけられたのは、先学のさまざまな業績にみちびかれたこと、また、編集の任にあたられた永沼氏の根気強い慫慂(しょうよう)と励ましの賜物にほかならない。
大木毅『独ソ戦』
たしかに、ミンスクやキエフの包囲戦、あるいは北方軍集団がバルト海沿岸地域を席巻(せっけん)するに際しての諸戦闘で、ドイツ軍は敵に大打撃を与えはした。
一九四一年七月のスモレンスク戦終了後、ドイツ軍指導部の多くは、国境会戦でソ連軍主力を潰滅させ、しかるのちに無人の野を行くがごとく、ヨーロッパ・ロシアの要地を占領するというもくろみが画餅に帰し(がべいにきし)たことを悟った。
フランスのように四通八達(しつうはったつ)した舗装道路もなければ、給油を可能としてくれる自動車交通用のガソリンスタンドも、ほとんどなかったのでさる。
そのような強迫観念に囚われたスターリンは、内務人民委員部麾下(きか)の秘密警察を動員し、おのが先輩や仲間を含む、ソ連の指導者たちを逮捕・処刑させた。
死せる独裁者に敗北の責任を押しつけ、自らの無謬(むびゅう)性を守ろうとしたのである。
その夕方勇躍(ゆうやく)彼女の家に着くと、あたりはもう暗くなっているのに玄関の明かりはついていなかった。
R. P. ファインマン (大貫昌子訳)『困ります、ファインマンさん』