政宗は、追い縋っ(おいすがっ)た。
大池唯雄『兜首』
庭に下り立って輝宗は客を送って進み、上野、成実の両名がその後に扈従(こじゅう)した。
同じく一方の大将として塩松攻略に力を協せていたのだが、政宗にとっては無二の股肱(ここう)であった。
三郎八は踊りあがって、引き裂けるばかり大口開いて、けたたましい馬鹿声をはり上げ、腸を霊山の頂までも吐き出すように腹をかかえて止めどもなく(とめどもなく)笑う。
東京での豪奢(ごうしゃ)な生活に馴れていた筈の彼が、何の未練も執着も残さず、あっさりと農民の姿に切替ったのも、心中、深く期することがあったのであろう。
池波正太郎『賊将』
西郷は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した。
京都では新選組や見廻組の猛者達に恐れられるほどの凄まじい剣の冴えを見せたのだし、薩摩藩や官軍が行った戦争のたびに、利秋は「あやつは、よろずにつけ物を怖がることを知らん奴じゃ。胆の太かこと無類じゃ」と外祖父の別府九郎兵衛が口癖のように言っていた言葉の通り、獅子奮迅(ししふんじん)の働きをしてきている。