その超人ぶりをうたわれたが、この超人ぶりは、日々の平穏のなかにこそ人生の価値を見出す立場からいえばは名状しがたい(めいじょうしがたい)不幸であるともいえる。
司馬遼太郎『翔ぶが如く』
かれは枕頭(ちんとう)に鉛筆と紙をそなえておく癖があり、この思い浮かんだポリスについての解釈を書きとめた。
その新聞を沼間守一がもってきて、そのくだりを指で叩いた。国辱(こくじょく)とは思わないかね、君、と沼間はいった。
それでも、本書の上梓にまでこぎつけられたのは、先学のさまざまな業績にみちびかれたこと、また、編集の任にあたられた永沼氏の根気強い慫慂(しょうよう)と励ましの賜物にほかならない。
大木毅『独ソ戦』
たしかに、ミンスクやキエフの包囲戦、あるいは北方軍集団がバルト海沿岸地域を席巻(せっけん)するに際しての諸戦闘で、ドイツ軍は敵に大打撃を与えはした。
一九四一年七月のスモレンスク戦終了後、ドイツ軍指導部の多くは、国境会戦でソ連軍主力を潰滅させ、しかるのちに無人の野を行くがごとく、ヨーロッパ・ロシアの要地を占領するというもくろみが画餅に帰し(がべいにきし)たことを悟った。
フランスのように四通八達(しつうはったつ)した舗装道路もなければ、給油を可能としてくれる自動車交通用のガソリンスタンドも、ほとんどなかったのでさる。